捕鳥部萬の墓
天神山町2丁目にある史跡です。(元は真上町)
この上に後に置かれたと思われる墓石があります。
明治時代?に設置された碑です。
捕鳥部萬(ととりべよろず)とは西暦500年代の物部氏の武将です。
当時、物部氏(排仏派)と対立していた蘇我氏(親仏派)
との戦いで敗れた萬は有真香邑(現在の八田町あたり)で自害して
はてました。萬はシロという飼犬を飼っていたが、主の自害するのを
見て、敵に首を取られないように首をかみ切って、どこかに隠した
という伝説があります。(忠犬シロの伝説です。)
矢代寸神社の前の三叉路にある道標です。
実は 貝塚市津田の紀州街道にも道標があり、
道標が続いているようです。
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