地車紀行

東京都千代田区永田町 その3
日枝神社境内にて

拝殿横の梅が咲いてました。




絵馬に描かれたかつての山車の絵です。

日枝神社では猿は神の遣いとのことです。

200年前の「江戸名所図会」に描かれた当時の祭の様子です。
資料によると、山車の他には例祭日(旧暦6月15日)の5日前に
すぐ北にある紀伊徳川邸で獅子舞を上覧してもらうのが恒例だったそうな。

幼い時からこの祭りを見てきた長泰公は、祖父の時代から敵対していた
という紀州公を意識していたでしょう。
ところで岸和田でもかつては北組(北町)の獅子舞が祭りで重要だったそうな。「北町町誌」
当時の地車は獅子舞の太鼓を運ぶ台車のような物だったようです。

祖父の時代の紀州公との「足の裏についた御飯粒」の逸話も有名であり、
正室を迎える前にすでに側室に4人も子供を産ましていた
という破天荒な孫殿様だったという長泰公であるので、紀州公を意識して
この祭りの様子を岸和田に再現しようと思ったのかもしれません。

最後に我が家の玄関に飾られている、日枝神社の
「まさるの土鈴」という猿の夫婦の置き物です。
(左は橿原神宮、右は伊勢神宮の土鈴。)

ちなみにまさるの土鈴は今年の東京都版の絵入り年賀状の裏にデザインされています。



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