奥家文書


江戸時代の両瀧村のだんじりに関する資料です。
奥家とは阿間河瀧町の旧家です。
市の天然記念物「奥家の楠」も知られています。

奥家文書のだんじりの資料は、文政七年(1824年)に
土生瀧村が、阿間河瀧村に相談なしに、だんじりを新調
したことに端を発する。

宮入の次第について両瀧村間で起こった論争に対し
岸和田藩寺社役の仲裁で、
同年八月、示談が成立した。

しかし、宮入時の阿間河瀧村だんじりの土生瀧村内通行の
明文化がなされていないなどの不備に対し、
阿間河瀧村は
文政十二年八月、新たに申し合わせ文を作成した。

ところが
同年九月、土生瀧村から「宮本土生瀧村」と
記した新たな申し合わせ書の下書きが出された。

この宮本・・という記載に対し不服を抱く阿間河瀧村は、
寺社役に対して、すぐに
嘆願書を書いた。

最後に、この論争と関係あるかどうかは定かではないが
倹約のために、だんじりは出さないという
御触書が出されていた。



以上より、当時の意賀美神社の例祭では、
宮入は土生瀧村から(現在と同じ)境内に入り、
2台入ってから、表番の村から俄狂言や獅子舞を奉納し、
両村の奉納が終わってから、表番のだんじりから宮出、
帰村していたとのこと。
狭い境内で、だんじりの入れ替えは困難であり、
だんじりは、小型の枠つきで、
おそらく各村から続く旧参道を通り、急な
階段を担いで上がったのではないかと思います。







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