地車紀行
熊野街道(府中から阿倍野)その4
石津より北の湊地区は太鼓台の地区です。
また堺旧市街は400年前に整備され熊野街道は?となってます。
ただ境王子(熊野神社)は戎之町の菅原神社に合祀されていますので
そのあたりにあったものと思われます。
このあたりの古地図(航空写真)
住吉区遠里小野の農神社です。かつてここにも地車がありました。
熊野街道を沢ノ町あたりまで行っていたそうです。
住吉大社への分岐です。江戸時代参勤交代の時には岡部の殿様も通ったのかな?
万代池の側を通ります。大阪市の設置した熊野街道のレリーフ。
いい環境です。最近豪華な老人ホームができました。
北畠あたりです。高級住宅街といわれています。
阪堺上町線が道の真ん中を走っています。
阿部王子社です。もちろん王子社の一つです。
東側の阿倍野筋側に地車庫(子供地車ですが)があります。
安倍晴明神社です。名前の通り葛の葉の伝説の安倍晴明由来の神社です。
その生家跡といわれています。
松虫駅です。ここから北側は阿倍野筋と合流し再び阪堺上町線が
を走り、阿部野橋(天王寺駅前)へと続き、旧淀川の船着き場(八軒屋浜)
へと続きます。いわゆる上町大地の上を通りますが、上町大地は
1500年前?頃には西はすぐ大阪湾であったといわれています。
おそらく泉州の熊野街道も当時はすぐ西側は海だったと思われます。
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