岸和田市旭・太田、修斉地区祭礼 その14
続いて土生瀧町。纏が出てきました。
鯉の彫刻のほうです。
もうすぐ上がりきりますが、私はダッシュで葛城町へ
すでに阿間河瀧町をお見送りしたとこでした。
土生瀧町をお見送り
続いて葛城町
この地車で、ここまで上がってくるのは最後です。
両瀧町の古老の方々が見に来られてました。
意外と思われる方もいるかもしれませんが、
葛城町のある場所は旧塔原街道の北側に位置し、
かつて土生村から分かれた土生瀧村、土生新田の間に
位置する土地です。位置的には矢代寸神社が
近いですが、町域には八田など矢代寸神社氏地はなく、
当初、土生、上松、畑、作才の飛び地で構成。
町域の歴史と、修斉地区であることから、
意賀美神社へ詣ることが最も理にかなっています。
もし旭・太田、修斉地区としてスタートしていれば
土生神社宮入になっていたかも知れません。
また、もし作才町のあとでの参加となっていたら・・・?
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